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バイカルについて

BAIKALバイカルの名に込められた3つの想い

現社長・川勝亘晃が社長に就任した当時、すでにバイカルは数多くのお客様に愛される洋菓子店になっていました。 ただその一方で、創業当初にスタッフ全員が目指していた「本物のフランス菓子を作りたい」という目標が達成されたことにより、新しい目標を見出しにくい状況になっていたのです。 「このままではいけない!」そう感じた川勝亘晃は、バイカルをさらに大きく成長させるために、バイカルの名にちなんだ理念を10年かけて確立させました。 その理念とは、下記の3つです。

バイカル湖が「世界で最も古い」と呼ばれることから…
バイカル湖が「世界で最も深い」と呼ばれることから…
バイカル湖が「世界で最も透明」と呼ばれることから…

歴史を実感しながら、未来を創っていこう!

材料や技術を深く追求し、よりよいものを目指そう!

常に素直な気持ちを大切にし、謙虚な気持ちで仕事に臨もう!

この理念を創ったことで、新人教育の際はもちろん、ベテラン社員が自分自身を見つめ直す際にも非常に役立つ指針となりました。

バイカルの歴史

今では京都だけでなく、日本中にその名を知られるバイカルですが、創業当時は苦難の連続でした。
その中で、初代社長・川勝三郎は常に美味しいフランス菓子作りを心がけ、必死に頑張りました。
ここでは、バイカル誕生以前からバイカルの名前が定着するまでの歴史をご紹介いたします。“本物の美味しさ”を生み出すために重ねてきた数多くの苦労の一端を、少しでも感じていただければ幸いです。

はじまり

戦前、バイカル初代社長・川勝三郎の父は食料品店を営んでいたが、戦争ですべてがパーに。復興が始まる中、「このまま食料品店を再開していいのか」と悩む。
復興していく様子にこれからの欧米化を感じ取り、「これからは食も欧米化せねば!」という考えに至り、フランス菓子店を開くことを決意する。

旅立ち

当時、後のバイカル本店の4件隣には、京都で一番美味しく、一番人気があり、一番多くの職人を雇っている「最高のフランス菓子店」があった。このままでは勝ち目はない。だが、絶望の中で、あることに気づく。
「あの店が使っているクリームは、本場フランスのものじゃない!フランスで修行した職人だっていないじゃないか…」
勝機を見つけた。男は、すぐに息子にフランス行きを命じる。この息子こそ、後にバイカルを創業する「川勝三郎」である。

苦悶

「本場フランスに行けば、フランス菓子を学ぶことができる」
しかし、現実はそんなに甘くなかった。現在とは違い、海外旅行すら高嶺の花であった時代、フランスの洋菓子店が見ず知らずの日本人を受け入れることはまずなかった。
「本場のフランスで修業するまで、日本には帰られない」
その想いだけでフランスにしがみついた三郎は、やっとの思いでひとつの店に辿り着く。とはいえ、働き始めたからといって、状況が一気に好転するわけではない。任される仕事は、毎日雑用ばかりだった。クリームの作り方ひとつ、教わることができない…。さすがにこの状況に焦り始めた三郎だったが、ここで運命の出会いを果たすことになる。

バイカル誕生

焦る三郎の前に現れたのは、一人の兄弟子だった。兄弟子は、三郎がフランスに渡ってから、初めて仕事を教えてくれた人間だった。教わったのは、メレンゲの作り方やクリームの作り方など。「基礎ではあるが、非常に奥深いもの」を丁寧に惜しげもなく教えてくれた。
(なんでこんなに優しくしてくれるんだろう?)
不思議に思いながらも修行を続ける三郎。やがて月日が過ぎ、三郎の帰国が決まる。そのとき、兄弟子の想いに気づくことになる。
「三郎、俺も実は純粋なフランス人じゃない。故郷はロシアなんだ」その言葉を聞いて、三郎は悟る。
(フランス人に相手にされない寂しさを知っているから、優しくしてくれたんだ)
感謝で胸がいっぱいの三郎は決心する。兄弟子との会話によく出てきた故郷にある世界最古の湖・バイカル湖からとって、自分の店は「バイカル」という名前にしようと。お世話になった兄弟子への三郎なりの恩返しであった。
こうして、1955年、京都にバイカルが堂々と誕生することとなる。

チョコレートの追及

三郎は、本物のフランス菓子にこだわった。
その中で導き出された使命は、「本物のチョコレートを探すこと」だった。
昭和50年代、三郎はある商社の若き営業マンから、フランスで開かれるカカオバリーを扱う会社による講習会に一緒に出てくれないかと誘われる。
カカオバリーとは、当時世界最高峰と呼ばれるチョコレート。もちろん三郎はこれを快諾。講習会に参加した三郎は、そこに来ているメンバーを見て驚く。フランスでも指折りのショコラティエばかりだったからである。その光景を見て、「カカオバリーがやはり最高だ!」と息巻く営業マン。しかし三郎は、「もっと美味しいチョコレートがあるんじゃないか?」と疑問に思う。気になった三郎が、おもむろに講習会に参加しているショコラティエ達に「あなた達が本当に美味しいと思うチョコレートを教えてくれないか?」と切り出した。最初は誰もが怪訝そうな目で見ていたが、やがて教えてくれたのは、どれもが同じ名前だった。
「タンエルミタージュにヴァローナという小さな会社がある。味はそこが最高だが、少量しか手に入らないんだ」
そこだ!三郎は、すぐさまヴァローナへと旅立った。

ヴァローナとの出会い

〜まさにヴァローナとの出会いは衝撃的だった〜

ヴァローナに着いた三郎は、早速交渉しようと試みる。しかし、フランスの田舎町にきた見ず知らずの日本人の言葉を簡単に聞き入れてくれるはずもなかった。当然のように門前払い。どうせこのまま帰るならば、と店の裏に捨ててあったココアを絞った後のカカオをなめたところ、この世のものとは思えない美味しさ!三郎は、たちまちヴァローナの虜になった。
「何としても、ここのチョコを日本に持って帰る!」
その一念で三郎は粘りに粘り、ついに交渉成立に漕ぎ着けたのだった。

この「ヴァローナ」に出会ったことで、バイカルの名前は京都だけでなく、日本中に知れ渡ることになる。

ここから始まるバイカルの「素材探しの旅」については、こちらをご覧ください。

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